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はじめにーインダストリアルデザインという仕事 [おしごと]
自己紹介 [おしごと]
お仕事についてーインダストリアルデザインのお仕事をお受けします [おしごと]
松坂洋三の職歴概要 [おしごと]
インダストリアルデザイナーを目指す人へ [コラム]
(写真:阿蘇神社からみる阿蘇山)
「環境がデザインする」: 物のデザインをしてはいけません。環境が、あるべきかたちを作るのです。はじめから「もの」ありきでデザインしてはいけません。利用者・目的・環境が必要とする機能を満たすためにデザインを行うのであり、そのニーズと技術が機能の実現の答えとしてモノを必要とするかどうかで、決めることです。はじめには、理想の姿、本質を描くということです。環境とは自らの観察・調査によって明らかになる「もの」です。デザインは「原寸」で行われなければなりませんが、環境や調査は他社が作成した資料や、インターネットからの情報は参考程度の物であり、デザインを行うもの自らの体験を通しての観察調査が、意味を持つのです。これが基本です。料理人が自ら畑や市場に行って料理の素材を選ぶように、人任せにすることはできないものです。私は学生にどのようなデザインも「原寸」で一度体験することを、指導しています。寸法を決めることは、デザインの第一歩です。2005年頃に発売されたテレビチームのアートディレクターN氏のプラズマテレビ(KDE-P42/ 50HX1)は、Gマーク2003年金賞を獲りました。それまでにトリニトロンという最強のデバイスを武器にしてきたソニーTVのアイコンを、失ったあとのフラット薄型テレビのなかで、同社らしさを求めるファンのユーザーにとって待望の、ソニーらしいアイコンとなるデザインでした。このデザインのコンセプトは「フローティングデザイン」―浮遊する映像でした。インテリア空間にとって、物としての奥行きは必要ではなく、必要なのは映像ということで、空間に浮く映像の意味のデザインでした。インテリア空間という環境を観察し、描いた理想の姿をかたちにしたデザインの手本となる、事例です。一方、私がまだ放送局用業務用機器の厚木チームに在籍していた頃、本社御殿山のデザインのマネジメントW氏が一度御殿山本社の同社で最も有名なアートディレクター、T氏にプロ用のビデオカメラのデザインを依頼しました。実は、厚木チームのカメラのデザイナーは担当した際には必ずプロのカメラマンの現場に同行し使い方を自身の目で観察し、カメラマンの意見を聞きながら情報を収集していた。取材の現場ですから、結構ハードな同行でありますが、必須の行動です。しばらくして、御殿山本社からのデザインが上がってきました。私たちは、デザインセンターの誰もが尊敬するアートディレクターT氏のデザインを、凄く楽しみにしていました。アートディレクターには、デザイン審議を受けるためにモックアップを持って厚木デザインチームにおいでいただきました。トップマネジメントも期待する新しいプロ用のカメラの原形が見られるのでしょうか。結果ですが、披露されたそのデザインは、コンスーマーのカメラのように構えやすい、重心のバランスを考え重いバッテリーの位置を後方から思い切って体の中心に移動させた特徴的なかたちでした。長年プロ用のカメラをデザインしたノウハウをもつ厚木のデザイナーたちからは根本的に現場での使い方、プロのカメラマンは様々なアングルに構える事が求められるのでバッテリの位置を変えずにフラットなデザインでなければならないというようにコメントし、提案アイデアを根本的に否定することになりました。従って、そのデザインはプロ用の新しいカメラの原形となりませんでした。ここで学んだことは、どのような優れたデザイナーであっても「観察・調査」使用される環境を理解しなければデザインが成立しないという事でした。
「寸法とデザイン」:「美しいデザインとはプロポーションである」と1986年当時の厚木デザインチーム統括課長であったS崎さんが仰っていました。ご本人は、私生活では色々と苦労されていたようでしたが、この厚木デザインチームのマネージャーは私たち現場のデザイナーにとっては理想的な上司で、設計からのクレームに矢面に立ってくれたり、デザインに対して物凄く真摯で勉強家であり上司部下という色の薄いフラットな組織が出来上がっていました。当時の厚木チームは、厚木工場という広大な敷地に設計者に近いものづくりの環境と、厚木の恵まれた自然景観も相まって、また、大先輩のEさん以下同世代のデザイナー8人で構成されているソニーらしい自由闊達な実に楽しい職場でありました。結構封建的な組織から転職した当初の私が、何より驚いたのが、ここのクリエイティブな環境では、将来を嘱望されていたにしても当時20代後半の若手デザイナーだったH氏のコメントに対しても、マネジメント以下チームの皆が深く聞く耳を示していたことでした。そのようなことが当たり前の会社でした。毎週のようにデザイン審議で互いのデザインをシビアに検討しあうのは―SONYロゴに見合う良いデザインを創るため―そのような共通の認識のあるこのような環境でデザインが出来るとどのような新人デザイナーでも大きく成長する、と実感しました。・・・さて話は戻りますが、「プロポーション」とは大きさの比率のことであり製品で言うと縦・横・奥行・間のバランスなどのことです。通常デザインの初期の条件として設計のたたき台となる寸法というものがあります。設計者がデザインのどのような寸法を要求しても入れて見せるという気概があれば別ですが(私は後にパーソナルオーディオ担当になり、そのような不可能を可能に実現する変態チームと遭遇しますが)。設計のたたき台とは、その時に性能とコストなどで選定したデバイス、安全規格などを積み上げると出てくる寸法です。デザイナーも最終的に製品化するために、目度となるその情報が必要です。しかしながら、最終的な製品の外観に関する責任を持つデザイナーは設計の寸法(その寸法がデザインにとっても良いのなら良いでも良いのですが?)を尊重しつつも、独自の視点で「最も良い(美しい)という意味のある寸法」を検討し発見し設計に提案として投げかけねばなりません。19インチラックマウントのように規格化されている寸法は規格化という意味があるのでしたら、それはそれで寸法に関しては意図があるということになります。例えば、家具であれば、最も美しく見えるバランスの板の厚み、ブラウン管の時代のコンピュータデイスプレイモニターでは最も美しく見える枠の幅、奥行などデザインの「絶妙」なバランスという「寸法」があります。設計の都合で例え実寸では変わらない場合であっても、良いデザインの寸法を意図として伝える努力をデザインします。また、設計から与えられた寸法をデザイン側も検討しなければデザインの責任を果たしているとは言えなくなります。なぜなら、デザイナーと一緒に仕事をしたことのある多くの設計者も自らの担当する商品のデザインが良くなることを拒む者は大抵いません。多くがデザインからの提案に近づけようと努力してくれるものです。結果は変わらないことになっても、椅子やテーブルの高さを決定する時に、従来の規格に従うだけでなく、今一度本当に良いのかどうか疑ってかかってみることも「寸法」を決めることもデザイナーの重要な仕事です。
「インダストリアルデザインとは」:今日では私たちの専門性を一般的に「プロダクトデザイン」と呼ぶことが多いのでは無いかと思います。また、「プロダクトデザイン」は「インダストリアルデザイン」を含むというように書かれている記事をネット上で目にします。説明上問題ありませんが、インダストリアルデザインとは工業デザインのことで、昔はプロダクトデザインはクラフトや家具を対象とするデザインを主に指していたように記憶しています。昭和世代のデザイナーである私は、初めて覚えた憧れのデザイン団体が「JIDA」や「GKデザイン」であり、東京の多くの美大の当該学科・コース名が「インダストリアルデザイン」であったり、「インダストリアルデザイン」を選択する学生はヴィジュアルコミュニケーションや住空間デザインに比べマイノリティーであったので、特別な誇りのようなものを感じていました。殆ど同じ意味ですが、プロダクトデザインは単品の「物」のデザインであり、人間の生活に近いものを対象とし、インダストリアルデザインは工業製品全般を対象にし、かつデザインの対象が拡大している分野であると理解しています。なぜなら、私の経験した1980年代の重電の分野でもインダストリアルデザイナーが世界でデザインしていましたし、例えばその仕事は、発電所や上下水道の制御室の人間工学的デザイン、エレベーターの内装、計測器、産業用モーター、原発の燃料交換機の操作卓、巨大なプラントの計器や流量計なども含み、それらをプロダクトデザインというには違和感がありました。記憶では、レイモンドローウィの著書「口紅から機関車まで」のなかで(あるいはティーグの「デザイン宣言」で)我々の仕事は多岐にわたるので「インダストリアルデザイン」と呼んでいたように思います。
「プレゼンテーション」:芸人さんが人を笑わせるために言ったボケが滑らずに受けた瞬間とデザイナーのプレゼンテーションの瞬間は似ています。芸人の松本人志氏さんは、今もっとも面白い芸人さんですがそれを反対する人は殆どいないのではないでしょうか?というわけで今は松本さんを尊敬している私ですが、ダウンタウンのお二人が未だ20から30代の絶頂期の頃は、何か関西弁の乱暴な掛け合いがきつく聞こえ、素直に笑えませんでした。松本さんの本も読みました。しかし、ソニー在職当時、関西出身の後輩デザイナーが、ダウンタウンを天才だと言ってました。その時は理解できなかったのですが、いま毎週、松本人志さんのレギュラーの番組を見るようになっていますが、松本人志さんが天才であることはいうまでもありません。すごく面白い、人を笑わせることが大好きなのが伝わります。天才的な笑いの「間」で、ドカーン、ドカーンとうける、人を笑わせる瞬間が快感なのがわかります。なぜかというと、デザインも同じだからです。すげー頑張って、何度も何度もやり直して到達した自信作のトップへのプレゼンテーションの日。モックアップのカバーをめくり、オープンした瞬間にその空間が沈黙に包まれます。シーンとなります。次の瞬間、良くないときは気まずい空気が流れ、良いときは、それまで忌憚なく飛ばしていたアートディレクターの顔がやられたという表情になる。その瞬間がたまらなく楽しみです。それでデザインがやめられなくなるのです。
「昔拾った縄文人の石鏃を眺めてみた」:インダストリアルデザインには、問題解決型と創造提案型があります。世の中の多くの工業製品が問題解決型ですが、1990年以降インターネットの爆発的な普及がきっかけで創造提案型デザインへ軸足が移ってきたように思います。両者の関係ですが、創造提案型の本物のみが生き残り、やがて問題解決型となり改良を続けていきます。私の手のひらに石鏃があります。縄文人はこの石鏃で何を狩ったのでしょうか。イノシシやシカでしょうか。この石鏃は紛れもなく10000年前に生きていた私たちの祖先がこの土地で家族の食料の確保のため一生懸命に石を割りながら作った武器です。それまで自然物の木や石を投げる狩りの仕方から弓で射るという戦いのスタイルに激変しました。この武器を作っている時の古代人の気持ちはどうだったでしょうか。人間は1~2歳の幼児であってもブロックを与えると、夢中になって上手に立体造形物を作ります。大人になった私たちもパーソナルコンピューターで図面を引いている時間よりも「スタイロフォームを削っている時」に充実感を感じるのはこのような昔からの遺伝子が目覚めるからでしょうか。この石鏃から、わたしたちは当時の人間たちも手で物をつくるという喜びを感じながら作っていたと想像します。このような「手で物を作る」のは人間のみに与えられた能力です。そのような時に少しずつ道具というものが、人の手の機能の延長として改良されていったことを改めて思います。
「コンセプトデザインと造形デザイン」:インダストリアルトデザインの草創期、ペーターベーレンスはAEG社の工場の建物からインテリアデザイン、AEG社のポット、照明器具までデザインの仕事をこなしました。インダストリアルデザインという仕事はそのように、建築から家電製品まであらゆるものを対象としています。ペーターベーレンスの事務所で働いてたコルビジェ、ミース、グロピウスの時代には、今日のインターナショナルな合理的デザインであり、戦後日本のグッドデザイン選定制度が目指していたデザインとはそのような世界で通用するデザインでした。当時はインターナショナルなデザインをバウハウス洋式と書いている本があります。海外視察から戻ったパナソニック(松下電器産業)の松下幸之助さんがわが国で初めてインハウスデザインを設置しましたが、世界的な日本の総合家電メーカーがその後、デザイナーを大量採用した昭和40-50年代は日本の工業デザインは、そのアイディンティティの模索の段階でありました。個々のデザイナーは、お手本を海外に学びながら一方で日本のオリジナリティーを探求していたと思います。スバル360や東芝の電気釜などはその当時のデザイナーの良心を感じることが出来ます。今日でも使われていますが、私たちの時代(1970年代)はインダストリアルデザイン、インダストリアルデザイナーと呼ばれていました。そのような、時代に私たちデザイナーを志す若者にとっての数少ない登竜門の一つが「毎日デザインコンペ」でした。当初、デザインコンペは現実的なデザインを求めていましたが、次第にデザインコンペに企業が期待するものは今のデザインではなく「デザインコンセプト」というものづくりの概念を評価する方向に変化していきました。記憶にあるのは、アイワの「柔らかいラジオ」、キャノンの「ショットカメラ」GKデザインの「小さな車」などで、最終的なかたちに評価の比重は置かれていませんでした。若かった学生時代のわれわれはこのころからデザインの深さに感動しつつも、戸惑いがありました。デザイナーの専門領域が汎用性のある「言葉」でまとめる「概念づくり・物のあり方」へと拡大してきていることが難しく直ぐには対応できませんでした。今日ではインダストリアルデザイナーの専門性は「コンセプトデザイン」と「造形デザイン」の両方となります。
「 原寸」でデザインすること:
「アイデスケッチを広げ、詰めるの繰り返しによるデザイン」
「美しいデザインがデザインの最上位概念」
「10案から3案」
「プロダクトデザイナーの適正」
「昭和から令和のプロダクトデザイン」
「プロダクトデザインの役割」
まつざかコラムーつれづれなるままに [コラム]
デザインの鉄人:2021年12月8日。今日は午前中に専攻科「造形研究Ⅱ」課題「過疎地の〇〇〇」の実習で6人の学生の冒頭先週以降の後の課題の進捗チェック、アドバイス、修正チェックを行いました。自己紹介でも触れましたが、こちらの大分県に赴任して9年間自己の年齢についてあまり考えたことがありませんが、3月で定年退職で退任しますのでいよいよ最終コーナーという実感はございます。あまり考えたことは無かったのですが、私たちの専門職デザインという活動は改めて考えますと若い人の仕事ではありません。私たちが学生時代には「デザイナー30歳」説というのがあって、そーなんだー程度に思っていました。しかしながら、社会に出ると企業のデザイン部門では50代までは普通にやっています。このようにデザイン職は40代はおろか、現代世界的に活躍しているデザイナーは50ー60歳代です。お医者さまや料理人の様に経験値がとても重要な仕事と自覚しています。しかしながら、30代でも凄く出来る人もいますので結局年齢ではなく個人の才能という事になりますが、年齢という経験値は確実にプラスです。いくつまでデザインに関われるだろうかと思いますが、こちらに来てからも県内企業様からの製品デザインの依頼でお受けしたことが5件ほどあります。医療器や美容器機、遊具など。しかしながら、8割が本業が別にある事業主が大分県の助成金を獲得したのでデザインを依頼してみるとか、デザインが設計もしてくれるという程度の認識なので設計抜きで終わり、製品化は皆無です。よって、この手の依頼にはデザイン料はとらず手書きの絵とVWの2DCADで寸法を指示し学生に3Dモデリングのアルバイトとしてお金を落とすような学内インターンシップを実施しました。実は県内には工業デザイン事務所が無いので東京で学んだ私たちの学生時代のように事務所での実務のアルバイトの機会を作りました。トータルでは7-8人に50万円以上は学生に落ちていると思います。
東芝デザイン部時代の隣のチームのチーフデザイナーでKさんがいます。現在74歳だそうですが、恐らくコロナ騒動直前まで毎月成田から生産国の中国に飛んでいました。ローテクのラジカセなどですから逆にデザインの重要性が高い商品です。70過ぎまで現役での仕事を依頼されるということに多大な尊敬の念を抱きますし、目標です。もちろん、デザインだけではありませんが、どの仕事でも70代まで現役で働くことは誰でも一つや二つ体に痛みを感じる部分があるに違いなく尊敬します。倒れる年齢まで必要とされ働くことは人間として尊敬します。今の自分が感じることは高齢になると今後は、体のあちこちの部品が故障するのだろうなーと、それが自然なんだなーと感じます。高齢化=身体的障害です。私は父の血筋かファッションが好きで40歳ぐらいからワイズ・イッセイミヤケを経てコムデギャルソンを好んで着るようになり以来20以上CDGHやオムドゥに通い続け、東京、関西、九州の殆どの店長と知合いです。昨年、社長の川久保玲先生が、テレビのインタビューに珍しく応じていて衰えないデザインに対する熱意に感動しました。岩田屋店長によると今年78歳だそうですが、現役で戦っているんだなー。社員を抱える経営者としての責任も大変ありますが、洋服を見ると変わらずに私たち顧客の期待を裏切らないわくわく感というパワーを与えてくれます。これがあって私も働ける部分もあります。
松坂洋三のインダストリアルデザイン論 [デザイン論]
(写真:大分市内)
現代デザインの役割(2019年紀要論文)https://drive.google.com/file/d/1LlR_aP8OVEIPq8_tXtiugkJlf2UhyKHd/view?usp=sharing
デザインの原点 ー「閃きというアイデア」 プロダクトデザインは100年の歴史のある職業であり(ペーターベーレンスがドイツAEG社の嘱託で行ったのが初め)その対象は、徐々に広がり当時から行われていた家具やテーブルウエア、住空間のデザインは現代も継続してデザイナーの仕事となっている。さらに戦後、目覚ましく発展した家電品や自動車などは、既に70年以上もプロダクトデザイナーの仕事の対象となっている。その間、陶磁器、ガラス、木材、金属などの素材・加工技術は生き続けデザイナーの造形の対象であったが、戦後目覚ましい発展を遂げたプラスティック材料と製造技術はさらにデザイナーの造形力を発揮する上で大きな機会を与えた。また、情報機器の様に、コミュニケーションのための技術やエンタテイメントのための機器など、従来なかった使い方やユーザーインターフェース・サービスがデザイナーの対象となった。そのように長い間、プロダクトデザインが廃れずに今も尚、職業として行われているのはデザイナーの物の魅力を発見し、アイデアを次から次へと生み続けていく本能・創造性では無いかと考える。日本では始まりから多くのデザイナーがトヨタ、日産、ホンダといったすべての自動車メーカー、パナソニック、ソニーといったすべての電機メーカーに社員として採用され設計部門の一部またはデザイン部門として連携しデザイン業界を牽引した。プロダクトデザインにとってその原点はデザイナーのアイデアが、効果的に付加価値として製品の魅力を向上させる力だ。今回は、その「デザイナーの閃き(ひらめき)というアイデア」がどのように展開されたか事例を元に考察してみたい。
▢機能×アイデア[事例]
・はえ縄漁業の漁師の仕事への憧れ、10か月の生活空間として飽きの来ない工夫など働く場所としてのカッコよさを求めたデザイン(第一昭福丸 デザインファーム;Nendo佐藤オオキ代表 )❶
・映像制作者のプロフェッショナル機材という仕事に誇りを持てるような高度な機会という精緻感や多機能をかっこよく見せるデザイン❷(ソニー業務用カメラ CineAlta VENICE)
・ラボ―チェ(声)というフロアタイプのスピーカーでは音のユニットごとの音源の位置を揃える技術を造形に可視化したアイデア❸(スピーカー SS-A7:松坂)
▢操作性(使い方)×アイデア[事例]
・毎日使ったら後の人のために綺麗にするといった日本の掃除文化・精神性を反映させた綺麗を保てるような和の建築に合う洋式トイレのデザイン提案(2019年卒業制作・堀直輝)❹
▢意味・物語/サステナビリティ―×アイデア[事例]
・おいしい水の流水造形を可視化したようなペットボトルのデザイン(Tinant:ロスラスグローブ)❺
・世界で最も歴史のあるブタペストの地下鉄は自動化となったがその原形は最古の地下鉄の1号機にある❻
▢素材・構造×アイデア[事例]
・透明なアクリルブロックの中に浮かぶピンクの透明なブロックにより美しい浮遊感を可視化させた。(倉俣史朗)❼
・日本の住宅の窓枠など建材などに使われる古典的な製造方法アルミサッシという合理的、安価な素材をその量産性を生かしつつ加工技術と職人の仕上げ加工技術により全く美しいトロフィーのような聖火トーチによみがえらせた(吉岡徳仁)❽
https://drive.google.com/file/d/140yaFLvLOKuFJ_JAG5B66Ci_fq9iSO_B/view?usp=sharing
あたりまえ 日常見慣れた光景を見慣れないものとする発想を「馴質異化(じゅんしついか)」という。この発想法は普段見慣れた光景は当たり前ととらえられているが、当たり前でない光景に見ることである。何となく空を見ていると空には雲が流れており、あたりまえの光景だ。しかし、その流れるスピードから天気予報のインジケーターとして見ることも出来る。同じ空の雲の光景がに発想次第で異なる機能として見ることが出来る。一方、「異質馴化」の方は、なかなか事例を探すことが難しい。ある人が「これまで無関係、無用と思われていたものに注目し、それを役立たせるのが「異質馴化」である」[https://educalingo.com/pt/dic-ja/shinekutekusu]とうまく解説しているのを発見し、凄くしっくりいった。いままでに使われていなかったものに注目し調べた結果、新しい用途を発見するということか。この視点でもう一度、「馴質異化」を開いてみると、先に用途が決まっていて、それを達成するために今までの知識のなかから使えそうなものを再発見するというように説明出来やっと肩の荷が下りる。学生時代(1977年)岡田朋二先生の授業では、クワガタの「つの」の動きから荷物の寸法に合わせて左右から挟む構造の台車を提案したところ周りのみんなに良い例として紹介くださった。でもこれは「馴質異化(じゅんしついか)」であった。しかし、「異質馴化」ともとらえることも出来る。視点の解釈の違いか?いずれにしてもデザインコンセプトのネタとは日常のどこにもアイデアが潜んでいる。この「シネクティクス(ゴードン法)」は当時の美大のデザインではあまりお見掛けしないユニークな創造工学の科目である。ここ(芸文短大)の専攻科の授業でも課している。イギリスのマーク・ニューソン氏のデザインは優しい自然な造形で、本人の人柄が見えるような奥の深いデザインである。確か、アップルデザインの時代を築いたジョナサンアイブ氏が退社し組んで仕事をしている。不要なものは足さないミニマルな思考でありながら温かみのあるデザインだ。そのマーク・ニューソン氏のデザインは日ごろ見慣れた砂時計の砂が落ちるという動詞のデザインを再度見つめ直して、注いだ時にはじける金色のシャンパンの現象を砂時計のデザインの光景とした。これこそ「異質馴化」であろう。日常の関係の無さそうな素材を金色泡の砂時計という機能に結び付けた。マークニューソン氏の目には何気ない普段の映っている光景は当たり前ではないのだ。
美しくあるべき インダストリアルデザインはなぜ美しくなければならないか。インターナショナルなデザイン教育を世界では初めて行ったバウハウス初代校長がバウハウス叢書の最初のページで語った言葉がこれである。 「ものはその目的を実現すべきである、つまり、その諸機能を満足させ、丈夫で、安価で、そして「美しく」あるべきだからである」 と100年前にドイツで設立されたバウハウスという総合的な美術・建築・デザインを学ぶ公立学校「バウハウス」の叢書7「バウハウス工房の新製品」冒頭バウハウス生産の原則で著者であり校長のワルター・グロピウスが述べている。形態・技術・経済の領域のすべての品物の形態をその「機能と制約」から見出そうとすると書かれている。バウハウスのデザインはインターナショナル様式とも呼ばれているが、機能的、合理的なデザインである。そして、最上位の概念としてデザインの役割が拡大した現代でもデザインは「美しく」なければインダストリアルデザインとは言えない。インダストリアルデザイン=製品デザインはどのようなプロセスや役割を担うにしても最終的には「美しいデザイン」に統合化されなければ製品デザインとは言えないということを忘れないでほしい。
機能のデザイン 製品のかたちを決める要因が機能に根差している合理的なデザインは、今日でもプロダクトデザインの主流である。その製品の機能をより合理的な形にすることであり、機能以外の無駄を排したミニマルな造形である。そのようなデザインは、バウハウスの時代に研究されたデザインの役割だ。そのデザインを正しいインダストリアルデザインの方法として理解した日本の工業デザインは、商品設計の提示する制約の中で最大限に良いデザインを実現するためにデザイン提案を行ってきた結果、世界で評価された。しかし、日本の工業デザインはデザイン優先ではなく器用なインハウスデザイナーが多くの制約の中で最大限のデザインを実現してきた点にある。日本の強みは企業の中でエンジニアと密にモノづくりをし、設計とデザインが基本的にはリスペクトしながらバランスのよいコストパフォーマンスに優れた製品デザインにあり、基本的にはデザインの役割をよく理解しているプロジェクトリーダー(PL)は設計のリーダーである。日本の企業の例ではソニーのようなデザインは、他社が真似できないようなハイテク(高度な技術)をベースに、新しい技術をデザインの意味のテーマとして新しいデザイン言語づくりに賭けていた。求められたのは常に尖ったデザインだ。海外でのソニーの評価はそのような日本製の高品質を代表するデザインであった。トリニトロンテレビは液晶に置き換わる前の2000年代中頃まで世界シェアがナンバーワンであった。
アップル社は個人で使うという意味での本当のパーソナルコンピューターの原形といえる一体型を発表したのは1984年のマッキントッシュ128Kだ。スティーブジョブスから信頼されていたフロッグデザイン・ハルトムットエスリンガー氏の時代を経て、復帰したスティーブジョブスが信頼したジョナサンアイブは伸び伸びとした安っぽくないプラスティックの痛快なかたちのiMACでパーソナルコンピュータのデザインを開放した。その後、iMACからiCUBEなど次から次へと最高の樹脂の傑作なデザインを発表し、ISO14001が世の動きになると2000年以降の世界的なエコロジーの流れに則り、再生可能なアルミを主体としたデザインに切り替えた。それ以降は現在のアップルの他社を寄せ付けないミニマルで圧倒的に美しいプロダクトデザインを展開している。美しいプロダクトを実現するために無垢材からの削り出しという一品ものにだけ許される試作品の手法を量産させる魔法は、トップダウンの企業であったから実現した。ジョブスとジョブスの信頼を得ていたジョナサンアイブであったからこそ実現した奇跡であった。アップルは、デザイン優先の会社であった。バウハウスのインターナショナル様式ではない、全くデザイン優先のプロダクトづくりの企業、唯一無二のアップル様式といえよう。今、ジョナサンアイブの去った後、あっ!と言うようなデザインは出ていない。ジョナサンアイブを超えるデザイン、それは、アップルカーか。
現代の造形デザインは、機能的合理的なデザインが数の上では主流であり続けるが、「次のデザイン」がそれらを過去の様式としている。「形態は機能に従う」からハルトムット・エスリンガーは「形態は感情に従う」といった。「次のデザイン」は「形態は意味に従う」デザインだ。「次のデザインとは「意味のデザイン」であることを述べたが、それはバウハウスの流れ汲む機能的なデザインとは異なる。その製品は何であるか意味が造形を決めるデザインである。それには設計の制約を受けないデザインであり、製品デザインの理想を追求したデザインの次元だ。2000年以降そのような「次のデザイン」がプロダクトデザインの指標として様々な製品が出てきたように思う。その代表格がダイソン氏であり、ダイソン氏の扇風機だ。デザイナーであり設計者である以外に究極の美しいデザインは実現できないということかもしれない。車のデザインを追求すると結局設計を自らしなければならないと中村信雄氏は自動車雑誌のインタビューで答えていたがそういうことである。美しいとは何か?プロダクトデザインを追求していくとこの命題に到達する。このデザインは美しいか?その命題こそプロダクトデザインの本質である。そこには製品デザイン美といったようなものがあり、デザイナーが少しでも美しいものを作りたいという執念の結果であり、その製品の「あるべき姿の追求」である。美しい製品デザイン実現にはデザイナーが習得した造形感覚、造形のセオリーといったものが生かされており様々な言葉で表現を試みることができる。