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My Best Design Works 2 [コラム]

[執筆中』

まつざかコラムーつれづれなるままに [コラム]

さきつきょうかい13.jpg (写真:天草崎津教会)

デザインの鉄人:2021年12月8日。今日は午前中に専攻科「造形研究Ⅱ」課題「過疎地の〇〇〇」の実習で6人の学生の冒頭先週以降の後の課題の進捗チェック、アドバイス、修正チェックを行いました。自己紹介でも触れましたが、こちらの大分県に赴任して9年間自己の年齢についてあまり考えたことがありませんが、3月で定年退職で退任しますのでいよいよ最終コーナーという実感はございます。あまり考えたことは無かったのですが、私たちの専門職デザインという活動は改めて考えますと若い人の仕事ではありません。私たちが学生時代には「デザイナー30歳」説というのがあって、そーなんだー程度に思っていました。しかしながら、社会に出ると企業のデザイン部門では50代までは普通にやっています。このようにデザイン職は40代はおろか、現代世界的に活躍しているデザイナーは50ー60歳代です。お医者さまや料理人の様に経験値がとても重要な仕事と自覚しています。しかしながら、30代でも凄く出来る人もいますので結局年齢ではなく個人の才能という事になりますが、年齢という経験値は確実にプラスです。いくつまでデザインに関われるだろうかと思いますが、こちらに来てからも県内企業様からの製品デザインの依頼でお受けしたことが5件ほどあります。医療器や美容器機、遊具など。しかしながら、8割が本業が別にある事業主が大分県の助成金を獲得したのでデザインを依頼してみるとか、デザインが設計もしてくれるという程度の認識なので設計抜きで終わり、製品化は皆無です。よって、この手の依頼にはデザイン料はとらず手書きの絵とVWの2DCADで寸法を指示し学生に3Dモデリングのアルバイトとしてお金を落とすような学内インターンシップを実施しました。実は県内には工業デザイン事務所が無いので東京で学んだ私たちの学生時代のように事務所での実務のアルバイトの機会を作りました。トータルでは7-8人に50万円以上は学生に落ちていると思います。

東芝デザイン部時代の隣のチームのチーフデザイナーでKさんがいます。現在74歳だそうですが、恐らくコロナ騒動直前まで毎月成田から生産国の中国に飛んでいました。ローテクのラジカセなどですから逆にデザインの重要性が高い商品です。70過ぎまで現役での仕事を依頼されるということに多大な尊敬の念を抱きますし、目標です。もちろん、デザインだけではありませんが、どの仕事でも70代まで現役で働くことは誰でも一つや二つ体に痛みを感じる部分があるに違いなく尊敬します。倒れる年齢まで必要とされ働くことは人間として尊敬します。今の自分が感じることは高齢になると今後は、体のあちこちの部品が故障するのだろうなーと、それが自然なんだなーと感じます。高齢化=身体的障害です。私は父の血筋かファッションが好きで40歳ぐらいからワイズ・イッセイミヤケを経てコムデギャルソンを好んで着るようになり以来20以上CDGHやオムドゥに通い続け、東京、関西、九州の殆どの店長と知合いです。昨年、社長の川久保玲先生が、テレビのインタビューに珍しく応じていて衰えないデザインに対する熱意に感動しました。岩田屋店長によると今年78歳だそうですが、現役で戦っているんだなー。社員を抱える経営者としての責任も大変ありますが、洋服を見ると変わらずに私たち顧客の期待を裏切らないわくわく感というパワーを与えてくれます。これがあって私も働ける部分もあります。

 

ソットサス・アソシエイツ:エットーレ・ソットサスはイタリアのインダストリアルデザイナーです。1980年代に短い期間でしたが、プロダクトデザイン史に残るような記憶に残る「メンフィス」というポストモダンのデザインチームを結成しさまざまな影響を与えました。なぜ、「メンフィス」は起きたのでしょうか?イタリアのデザインにとってどのような位置づけであったのでしょうか。そして、そもそもなぜイタリアのデザインは良いのか?なぜ良いかということはあまり納得のいく答えを聞いていません。数年前に自分の記憶にある昭和からのプロダクトダクトデザイン史をまとめてみました。抜けている部分を調べていると面白い発見もありました。それは大学の資料室アーカイブの一ページから本学にはずいぶん前に二人の日本を代表するデザイン界の著名な先生をプロダクトデザインの講師として招聘していたこと。一人はあの松下電器の真野善一氏、もう一人は我々の学生時代のバイブルであった「デザインとは何か」の著者、秋岡芳夫氏です。真野先生は僕らが学生の頃は武蔵野美術で指導されていました。そして、あらためて年表を俯瞰するとやはり「メンフィス」の存在とそこに参加した「倉俣史郎さんの作品」が特に輝いて見えるのでした。つづく。https://drive.google.com/file/d/1H5pq6s8qiFIMTeDp4Cyi-sgLJ_fA2-fp/view?usp=sharing

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インダストリアルデザイナーを目指す人へ [コラム]

あそじんじゃ2.jpg 


(写真:阿蘇神社からみる阿蘇山)                   


「環境がデザインする」: 物のデザインをしてはいけません。環境が、あるべきかたちを作るのです。はじめから「もの」ありきでデザインしてはいけません。利用者・目的・環境が必要とする機能を満たすためにデザインを行うのであり、そのニーズと技術が機能の実現の答えとしてモノを必要とするかどうかで、決めることです。はじめには、理想の姿、本質を描くということです。環境とは自らの観察・調査によって明らかになる「もの」です。デザインは「原寸」で行われなければなりませんが、環境や調査は他社が作成した資料や、インターネットからの情報は参考程度の物であり、デザインを行うもの自らの体験を通しての観察調査が、意味を持つのです。これが基本です。料理人が自ら畑や市場に行って料理の素材を選ぶように、人任せにすることはできないものです。私は学生にどのようなデザインも「原寸」で一度体験することを、指導しています。寸法を決めることは、デザインの第一歩です。2005年頃に発売されたテレビチームのアートディレクターN氏のプラズマテレビ(KDE-P42/ 50HX1)は、Gマーク2003年金賞を獲りました。それまでにトリニトロンという最強のデバイスを武器にしてきたソニーTVのアイコンを、失ったあとのフラット薄型テレビのなかで、同社らしさを求めるファンのユーザーにとって待望の、ソニーらしいアイコンとなるデザインでした。このデザインのコンセプトは「フローティングデザイン」―浮遊する映像でした。インテリア空間にとって、物としての奥行きは必要ではなく、必要なのは映像ということで、空間に浮く映像の意味のデザインでした。インテリア空間という環境を観察し、描いた理想の姿をかたちにしたデザインの手本となる、事例です。一方、私がまだ放送局用業務用機器の厚木チームに在籍していた頃、本社御殿山のデザインのマネジメントW氏が一度御殿山本社の同社で最も有名なアートディレクター、T氏にプロ用のビデオカメラのデザインを依頼しました。実は、厚木チームのカメラのデザイナーは担当した際には必ずプロのカメラマンの現場に同行し使い方を自身の目で観察し、カメラマンの意見を聞きながら情報を収集していた。取材の現場ですから、結構ハードな同行でありますが、必須の行動です。しばらくして、御殿山本社からのデザインが上がってきました。私たちは、デザインセンターの誰もが尊敬するアートディレクターT氏のデザインを、凄く楽しみにしていました。アートディレクターには、デザイン審議を受けるためにモックアップを持って厚木デザインチームにおいでいただきました。トップマネジメントも期待する新しいプロ用のカメラの原形が見られるのでしょうか。結果ですが、披露されたそのデザインは、コンスーマーのカメラのように構えやすい、重心のバランスを考え重いバッテリーの位置を後方から思い切って体の中心に移動させた特徴的なかたちでした。長年プロ用のカメラをデザインしたノウハウをもつ厚木のデザイナーたちからは根本的に現場での使い方、プロのカメラマンは様々なアングルに構える事が求められるのでバッテリの位置を変えずにフラットなデザインでなければならないというようにコメントし、提案アイデアを根本的に否定することになりました。従って、そのデザインはプロ用の新しいカメラの原形となりませんでした。ここで学んだことは、どのような優れたデザイナーであっても「観察・調査」使用される環境を理解しなければデザインが成立しないという事でした。


「寸法とデザイン」:「美しいデザインとはプロポーションである」と1986年当時の厚木デザインチーム統括課長であったS崎さんが仰っていました。ご本人は、私生活では色々と苦労されていたようでしたが、この厚木デザインチームのマネージャーは私たち現場のデザイナーにとっては理想的な上司で、設計からのクレームに矢面に立ってくれたり、デザインに対して物凄く真摯で勉強家であり上司部下という色の薄いフラットな組織が出来上がっていました。当時の厚木チームは、厚木工場という広大な敷地に設計者に近いものづくりの環境と、厚木の恵まれた自然景観も相まって、また、大先輩のEさん以下同世代のデザイナー8人で構成されているソニーらしい自由闊達な実に楽しい職場でありました。結構封建的な組織から転職した当初の私が、何より驚いたのが、ここのクリエイティブな環境では、将来を嘱望されていたにしても当時20代後半の若手デザイナーだったH氏のコメントに対しても、マネジメント以下チームの皆が深く聞く耳を示していたことでした。そのようなことが当たり前の会社でした。毎週のようにデザイン審議で互いのデザインをシビアに検討しあうのは―SONYロゴに見合う良いデザインを創るため―そのような共通の認識のあるこのような環境でデザインが出来るとどのような新人デザイナーでも大きく成長する、と実感しました。・・・さて話は戻りますが、プロポーション」とは大きさの比率のことであり製品で言うと縦・横・奥行・間のバランスなどのことです。通常デザインの初期の条件として設計のたたき台となる寸法というものがあります。設計者がデザインのどのような寸法を要求しても入れて見せるという気概があれば別ですが(私は後にパーソナルオーディオ担当になり、そのような不可能を可能に実現する変態チームと遭遇しますが)。設計のたたき台とは、その時に性能とコストなどで選定したデバイス、安全規格などを積み上げると出てくる寸法です。デザイナーも最終的に製品化するために、目度となるその情報が必要です。しかしながら、最終的な製品の外観に関する責任を持つデザイナーは設計の寸法(その寸法がデザインにとっても良いのなら良いでも良いのですが?)を尊重しつつも、独自の視点で「最も良い(美しい)という意味のある寸法」を検討し発見し設計に提案として投げかけねばなりません。19インチラックマウントのように規格化されている寸法は規格化という意味があるのでしたら、それはそれで寸法に関しては意図があるということになります。例えば、家具であれば、最も美しく見えるバランスの板の厚み、ブラウン管の時代のコンピュータデイスプレイモニターでは最も美しく見える枠の幅、奥行などデザインの「絶妙」なバランスという「寸法」があります。設計の都合で例え実寸では変わらない場合であっても、良いデザインの寸法を意図として伝える努力をデザインします。また、設計から与えられた寸法をデザイン側も検討しなければデザインの責任を果たしているとは言えなくなります。なぜなら、デザイナーと一緒に仕事をしたことのある多くの設計者も自らの担当する商品のデザインが良くなることを拒む者は大抵いません。多くがデザインからの提案に近づけようと努力してくれるものです。結果は変わらないことになっても、椅子やテーブルの高さを決定する時に、従来の規格に従うだけでなく、今一度本当に良いのかどうか疑ってかかってみることも「寸法」を決めることもデザイナーの重要な仕事です。


 


「インダストリアルデザインとは」:今日では私たちの専門性を一般的に「プロダクトデザイン」と呼ぶことが多いのでは無いかと思います。また、「プロダクトデザイン」は「インダストリアルデザイン」を含むというように書かれている記事をネット上で目にします。説明上問題ありませんが、インダストリアルデザインとは工業デザインのことで、昔はプロダクトデザインはクラフトや家具を対象とするデザインを主に指していたように記憶しています。昭和世代のデザイナーである私は、初めて覚えた憧れのデザイン団体が「JIDA」や「GKデザイン」であり、東京の多くの美大の当該学科・コース名が「インダストリアルデザイン」であったり、「インダストリアルデザイン」を選択する学生はヴィジュアルコミュニケーションや住空間デザインに比べマイノリティーであったので、特別な誇りのようなものを感じていました。殆ど同じ意味ですが、プロダクトデザインは単品の「物」のデザインであり、人間の生活に近いものを対象とし、インダストリアルデザインは工業製品全般を対象にし、かつデザインの対象が拡大している分野であると理解しています。なぜなら、私の経験した1980年代の重電の分野でもインダストリアルデザイナーが世界でデザインしていましたし、例えばその仕事は、発電所や上下水道の制御室の人間工学的デザイン、エレベーターの内装、計測器、産業用モーター、原発の燃料交換機の操作卓、巨大なプラントの計器や流量計なども含み、それらをプロダクトデザインというには違和感がありました。記憶では、レイモンドローウィの著書「口紅から機関車まで」のなかで(あるいはティーグの「デザイン宣言」で)我々の仕事は多岐にわたるので「インダストリアルデザイン」と呼んでいたように思います。


 


「プレゼンテーション」:芸人さんが人を笑わせるために言ったボケが滑らずに受けた瞬間とデザイナーのプレゼンテーションの瞬間は似ています。芸人の松本人志氏さんは、今もっとも面白い芸人さんですがそれを反対する人は殆どいないのではないでしょうか?というわけで今は松本さんを尊敬している私ですが、ダウンタウンのお二人が未だ20から30代の絶頂期の頃は、何か関西弁の乱暴な掛け合いがきつく聞こえ、素直に笑えませんでした。松本さんの本も読みました。しかし、ソニー在職当時、関西出身の後輩デザイナーが、ダウンタウンを天才だと言ってました。その時は理解できなかったのですが、いま毎週、松本人志さんのレギュラーの番組を見るようになっていますが、松本人志さんが天才であることはいうまでもありません。すごく面白い、人を笑わせることが大好きなのが伝わります。天才的な笑いの「間」で、ドカーン、ドカーンとうける、人を笑わせる瞬間が快感なのがわかります。なぜかというと、デザインも同じだからです。すげー頑張って、何度も何度もやり直して到達した自信作のトップへのプレゼンテーションの日。モックアップのカバーをめくり、オープンした瞬間にその空間が沈黙に包まれます。シーンとなります。次の瞬間、良くないときは気まずい空気が流れ、良いときは、それまで忌憚なく飛ばしていたアートディレクターの顔がやられたという表情になる。その瞬間がたまらなく楽しみです。それでデザインがやめられなくなるのです。


 


「昔拾った縄文人の石鏃を眺めてみた」:インダストリアルデザインには、問題解決型と創造提案型があります。世の中の多くの工業製品が問題解決型ですが、1990年以降インターネットの爆発的な普及がきっかけで創造提案型デザインへ軸足が移ってきたように思います。両者の関係ですが、創造提案型の本物のみが生き残り、やがて問題解決型となり改良を続けていきます。私の手のひらに石鏃があります。縄文人はこの石鏃で何を狩ったのでしょうか。イノシシやシカでしょうか。この石鏃は紛れもなく10000年前に生きていた私たちの祖先がこの土地で家族の食料の確保のため一生懸命に石を割りながら作った武器です。それまで自然物の木や石を投げる狩りの仕方から弓で射るという戦いのスタイルに激変しました。この武器を作っている時の古代人の気持ちはどうだったでしょうか。人間は1~2歳の幼児であってもブロックを与えると、夢中になって上手に立体造形物を作ります。大人になった私たちもパーソナルコンピューターで図面を引いている時間よりも「スタイロフォームを削っている時」に充実感を感じるのはこのような昔からの遺伝子が目覚めるからでしょうか。この石鏃から、わたしたちは当時の人間たちも手で物をつくるという喜びを感じながら作っていたと想像します。このような「手で物を作る」のは人間のみに与えられた能力です。そのような時に少しずつ道具というものが、人の手の機能の延長として改良されていったことを改めて思います。


 


「コンセプトデザインと造形デザイン」:インダストリアルトデザインの草創期、ペーターベーレンスはAEG社の工場の建物からインテリアデザイン、AEG社のポット、照明器具までデザインの仕事をこなしました。インダストリアルデザインという仕事はそのように、建築から家電製品まであらゆるものを対象としています。ペーターベーレンスの事務所で働いてたコルビジェ、ミース、グロピウスの時代には、今日のインターナショナルな合理的デザインであり、戦後日本のグッドデザイン選定制度が目指していたデザインとはそのような世界で通用するデザインでした。当時はインターナショナルなデザインをバウハウス洋式と書いている本があります。海外視察から戻ったパナソニック(松下電器産業)の松下幸之助さんがわが国で初めてインハウスデザインを設置しましたが、世界的な日本の総合家電メーカーがその後、デザイナーを大量採用した昭和40-50年代は日本の工業デザインは、そのアイディンティティの模索の段階でありました。個々のデザイナーは、お手本を海外に学びながら一方で日本のオリジナリティーを探求していたと思います。スバル360や東芝の電気釜などはその当時のデザイナーの良心を感じることが出来ます。今日でも使われていますが、私たちの時代(1970年代)はインダストリアルデザイン、インダストリアルデザイナーと呼ばれていました。そのような、時代に私たちデザイナーを志す若者にとっての数少ない登竜門の一つが「毎日デザインコンペ」でした。当初、デザインコンペは現実的なデザインを求めていましたが、次第にデザインコンペに企業が期待するものは今のデザインではなく「デザインコンセプト」というものづくりの概念を評価する方向に変化していきました。記憶にあるのは、アイワの「柔らかいラジオ」、キャノンの「ショットカメラ」GKデザインの「小さな車」などで、最終的なかたちに評価の比重は置かれていませんでした。若かった学生時代のわれわれはこのころからデザインの深さに感動しつつも、戸惑いがありました。デザイナーの専門領域が汎用性のある「言葉」でまとめる「概念づくり・物のあり方」へと拡大してきていることが難しく直ぐには対応できませんでした。今日ではインダストリアルデザイナーの専門性は「コンセプトデザイン」と「造形デザイン」の両方となります。                                                                                                                                                                              


             


  原寸」でデザインすること: 


「アイデスケッチを広げ、詰めるの繰り返しによるデザイン」


「美しいデザインがデザインの最上位概念」


「10案から3案」 


「プロダクトデザイナーの適正」


「昭和から令和のプロダクトデザイン」     


「プロダクトデザインの役割」     


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